大判例

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仙台地方裁判所 昭和54年(ワ)619号 判決 1981年2月27日

原告

株式会社ダルマ薬局

右代表者

和田光弘

右訴訟代理人

伊藤清

被告

熊谷良一

右訴訟代理人

小野寺照東

清藤恭雄

主文

被告は、原告に対し、金三一〇万円およびこれに対する昭和五四年七月一五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は第一項に限り執行することができる。

事実

第一  当事者の申立

一  原告

主文第一、二項同旨の判決と仮執行宣言

二  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二  原告の請求原因

一  原告は、昭和四七年四月一〇日に被告を雇傭したが、昭和四八年四月二〇日に被告に対し予告解雇の意思表示をなし、予告手当金等八万一〇〇〇円を送付し、これが同月二五日被告に到達した。

二  被告は、原告を相手として、地位保全等の仮処分申請をし、また雇傭契約上の権利を有する地位にあることの確認と、昭和四八年五月以降毎月六万二八〇〇円の支払を求める本案訴訟を提起したところ、このうち仮処分の申請に対し仙台地方裁判所は昭和四八年五月二日に「債権者が債務者に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。債務者は債権者に対し、昭和四八年五月以降本案判決確定にいたるまで毎月末日限り金六万二八〇〇円を仮に支払え。」という主文の仮処分決定をした。そこで、原告はこの仮処分決定に基づいて被告に対し、昭和四八年五月から昭和五二年六月まで五〇月にわたり月額六万二〇〇〇円ずつ支払い、その支払総額は合計三一〇万円に達した。

一方、右の本案訴訟については昭和五一年九月二九日に請求棄却の判決があり、控訴審においても昭和五四年六月五日に控訴棄却の判決があつて被告(右の訴訟における原告、控訴人)が敗訴し、これが同年六月一九日に確定した。

また、原告(仮処分事件における債務者)は被告(仮処分事件における債権者)を被申立人として前記の仮処分決定の取消しを仙台地方裁判所に申立てたところ、昭和五二年七月六日に、「被申立人を債権者とし、申立人を債務者とする仙台地方裁判所昭和四八年(ヨ)第九九号地位保全等仮処分申請事件につき同裁判所が昭和四八年五月二日なした仮処分決定を取消す。」との判決があつて前記仮処分決定は取消され、この仮処分取消申立事件の控訴審においても昭和五四年六月五日に控訴棄却の判決があり、これが同年六月一九日に確定した。

三  本案判決によつて原被告間に雇傭契約関係の無いことが確定した以上は、前記仮処分決定の効力も遡つて失われることとなつて、被告が原告から受領した金員はその法律上の原因を欠くこととなる。ところで、被告は原告からの解雇の意思表示が有効で、これにより原被告間には雇傭契約が存在しなくなつたこと、したがつて、被保全権利の存在しないことを知りながら、前記仮処分を申請して仮処分決定を得たうえで、これに基づいて原告から前記金員の支払を受けたものであるから悪意の受益者であり、不当に利得した三一〇万円に利息を付してこれを原告に返還する義務がある。

第三  請求原因に対する答弁と被告の主張

一  請求原因一項および二項記載の事実は認めるが、三項は争う。

二  原告は、昭和四八年四月三日に突然、被告を解雇する旨通知してきたが、被告には解雇される理由が思い当らなかつたので、原告会社専務取締役和田永浩にこれを問い正そうとしたが、和田専務はこれに答えないばかりか、被告が原告会社店舗内に入ることも拒否した。そこで、被告は雇傭契約上の地位を保全するための仮処分を仙台地方裁判所に申請したところ、これを知つた原告は、同年四月二〇日に右解雇を撤回してあらためて予告解雇の意思表示をしたうえ、解雇予告手当として八万一〇〇〇円を送金して来た。

二ママ 仙台地方裁判所では、被告の仮処分申請を認めて昭和四八年五月二日に、被告が原告に対し雇傭契約上の権利を有することを仮に定めることおよび被告に対し昭和四八年五月以降毎月六万二八〇〇円を支払うよう原告に命じることの仮処分決定を下した。そこで、被告は原告会社店舗に赴いて和田専務に対し被告を就労させるよう求めたが、和田専務はこれを拒否し、以後原告は被告からの就労の由出を拒否し続けた。

三ママ 労働契約における使用者と労働者の法律関係は、労働者が使用者の指揮命令に基づいて労務を提供する義務を負担し、これに対して使用者が一定の賃金を支払う義務を負担するという基本的な関係にとどまらず、労働者が使用者に対し、就労を請求し得る権利をも含んでいる。労働者は、労働によつて賃金を得るだけでなく、労働そのものの中に労働者としての充実した生活を見出し、労働によつて人格的な成長をも達成することができるものであるから、労働者が長期間にわたり就労を拒否されると、技能の低下、職歴上や昇給昇格等待遇上の不利益をこうむることとなるばかりでなく、職業上の資格さえ失う危険も生じる。このように労働者の就労の利益は、法的保護の対象となるものである。

従つて、前記仮処分によつて、被告が原告に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることが確認されたのであるから、右仮処分の効力として、被告は原告に対し従前どおり就労させるよう請求する権利を有し、被告はこれを受領する義務を負担した。

しかるに、原告は、被告からの就労の申し出を拒否したのであるから、原告において、いわゆる受領遅滞にあつたものというべく、かかる場合、被告は反対給付である賃金支払の権利を失わない。そうすると、被告が本件賃金を受領したことには法律上の原因が存在したこととなり、不当利得にはならないこととなる。

四ママ 被告が仮処分の申請をし、さらに本訴を提起したのは、原告の違法な解雇を許すことができず、労働者の当然の権利を行使したことによるものであるし、仙台高等裁判所における控訴棄却の被告敗訴判決に対しても、上告期限ぎりぎりまで上告するか否かを検討した。しかし、満六年余におよぶ法廷内外の活動等で肉体的にも精神的にも極度に疲労していたことと経済状態、家庭事情諸般の状況により上告を断念したものであり、一、二審の判決に承服したものではない。ところで、前記の仮処分決定は、被告提出の疎明書類のみならず、双方審尋の結果などもふまえて裁判所において相当と判断してなされたものであるから、その仮処分によつて被告が賃金を受領したことにつき、これを悪意の受益者と評される理由は全くない。

なお、被告が原告から受領した本件賃金は、既にすべて被告の生活費として費消し、利益としては現存していない。

第四  証拠<省略>

理由

一原告が、昭和四七年四月一〇日に被告を雇傭し、昭和四八年四月二〇日に被告に対し予告解雇の意思表示をしたこと、被告は原告を相手として仙台地方裁判所に地位保全等の仮処分申請をし、同裁判所が昭和四八年五月二〇日に、被告を債権者、原告を債務者として、「債権者が債務者に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。債務者は債権者に対し、昭和四八年五月以降本案判決確定にいたるまで毎月末日限り金六二、八〇〇円を仮に支払え。」という主文の仮処分決定をしたこと、この仮処分決定に基づいて原告が昭和四八年五月から昭和五二年六月まで被告に毎月六万二〇〇〇円ずつ合計三一〇万円を支払つたこと、この仮処分事件の本案訴訟において被告は原告に対し、「雇傭契約上の権利を有する地位にあることの確認と、昭和四八年五月以降毎月六万二八〇〇円を支払うこと」を求めたが、昭和五一年九月二九日仙台地方裁判所において請求棄却の判決があり、被告において控訴したが、昭和五四年六月五日に仙台高等裁判所において控訴棄却の判決があつたこと、原告は仙台地方裁判所に仮処分の取消しを求めたところ、昭和五二年七月六日に前記仮処分決定を取消す旨の判決があり、被告がこれに控訴したが、昭和五四年六月五日に控訴棄却の判決があつたこと、この双方の判決ともに昭和五四年六月一九日に確定したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二<証拠>によると、前記の本案訴訟は、原告の被告に対する予告解雇の意思表示が適法かつ有効であることを理由に、被告の原告に対する雇傭契約上の地位確認と、昭和四八年五月以降の月額六万二八〇〇円宛の賃金の支払請求が退けられたものであるから、被告敗訴の右本案訴訟の確定により、被告が原告に対し雇傭契約上の地位を有しないこと並びに昭和四八年五月以降の賃金請求権を有しないことが確定したものであるし、また、<証拠>によると、前記の仮処分取消しの判決は、このように本案訴訟において仮処分の被保全権利の存在しないことが明らかになつたことを理由に、前記仮処分を民事訴訟法七五六条、七四七条一項により取消したものであることが認められる。

三思うに仮処分は、債権者(申請人)が本案訴訟で勝訴することを前提とし、係争の権利関係が本案訴訟において確定されるまでの間、これを被保全権利として暫定的仮定的に応急的処置を履行せしめるものであるから、後日本案訴訟において被保全権利とされた権利関係がもともと存在しなかつたことを理由に、債権者(申請人)が敗訴して、これが確定するに至つた場合は、当該仮処分命令はその前提を失うのみならず、これによつて形成されていた仮の履行状態が、当初に遡つて根拠を欠くこととなる。従つて、これが原状に回復されるべきことは当然であつて、その理は、仮執行宣言付判決に基づき給付がなされた後、上訴審において原告敗訴の判決があつたときは、右仮執行宣言付判決に基づき給付されたものが不当利得として返還され、その原状回復がなされるべきもの(民事訴訟法一九八条)と同一であるといわなければならない。

そうすると、前記のように、被告が仮処分の本案訴訟において敗訴し、また仮処分が取消されて共に確定したことにより、仮処分によつて仮に存在するとされた被告の原告に対する雇傭契約上の地位並びに被告の原告に対する昭和四八年五月以降の月額六万二八〇〇円の賃金請求権は、もともと無かつたことになり、この点については、本案判決の確定により既判力が生じているのであるから、被告が原告から受領した三一〇万円は、結局において、これが支払をうくべき権利がなくしてその支払をうけたものといわなければならない。

四被告は、労働者には就労請求権があり、前記仮処分に基づいて被告が原告に対し就労を申し出たのに、原告がこれを拒否したため就労できなかつたものであり、これは、原告の受領遅滞にあたるから、被告は賃金請求権を失わず、被告の本件賃金の受領には法律上の原因があつたものである旨主張する。

しかしながら、本件のような「雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める」旨の仮処分は、いわゆる任意の履行を期待する仮処分であり、また、右仮処分によつて形成された法律状態は訴訟法上の法律状態であつて、右の仮処分がなされたからといつて、これにより当事者間に新たに私法上の雇傭関係が発生したり或いは、賃金請求権が発生したりするものではないから、右の仮処分後被告が原告に対し就労を請求したのに対し、原告がこれに応じなかつたとしても、これに応ずるか否かは原告の自由であるのみならず、これに応じないからといつて、新たに私法上の賃金請求権が発生するものでないことは明らかである。

なお、被告は、解雇通告された後右仮処分前にも、被告の就労請求に対し原告が応じなかつたのであるから、被告は賃金請求権を失わず、したがつて、原告に対し賃金請求権を有する趣旨の主張もするが、被告が原告に対し、昭和四八年五月以降の賃金請求権を有しないことは、既に本案訴訟における被告敗訴の確定判決によつて確定しているものであり、被告の右主張が右確定判決の既判力に抵触する主張であることは明らかであるから、いずれにしても、被告が原告に対し、昭和四八年五月以降の賃金請求権を有する旨、したがつて、仮処分によつて支払を受けた合計金三一〇万円か法律上の原因を有する旨の被告の主張は理由がなく採用できない。

五そうすると、被告が仮処分によつて支払をうけた合計金三一〇万円は、その支払をうけるべき権利なくしてその支払をうけたものであつて、結局不当利得となるものであるところ、被告は、仮払を受けた金員を生活費に費消したので、利益は現存しない旨主張する。

しかし、一般に、金銭よる支払については受領者がこれを生活費に費消しても、これにより財産の減少を免れたことによつて、その利益はなお存在するものと解すべきである(大判明治三五年一〇月一四日民録八輯九巻七三頁、大判昭和五年一〇月二三日民集九巻一一号九九三頁、大判昭和七年一〇月二六日民集一一巻一九号一九二〇頁参照)から、被告が原告から仮払を受けた賃金を生活費に費消したとしても利益は現存するものというべきであつて、被告はこれを原告に返還する義務がある。

六以上のとおりであるから、被告は原告に対し、金三一〇万円および右金額に対し訴状送達の翌日であることが記録上明白な昭和五四年七月一五日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、右義務は、被告が悪意の利得者か否かによつてその結論に消長を及ぼすものではないから、被告の善意悪意を論ずるまでもなく、右範囲の支払を求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、仮執行宣言について同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(伊藤和男 斎藤清実 荒井純哉)

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